カラスによる個人情報流出事件

 それはさわやかな朝。の、はずだった。ほんとは。
 早春の空気がやわらかな木曜日の午前7時30分。木曜日は生ゴミの日。前夜のうちにゴミを分別し、玄関先に置いていた。定刻通りにこやり(娘の通称である)を小学校に送りがてら、ゴミを集積所に持っていく。はずだった。ほんとは。
 主夫の務めはイスラームの戒律のごとく厳格なものだ。決まった曜日の決まった時間に、たがうことなく決まった務めを果たす。生ゴミを出し忘れるようなことがあれば、2日間は悪臭たちこめる部屋で悶々と後悔の念に嘖まれ、資源ゴミの場合など次の収集日まで1週間も自責と煩悶の海を泳ぐことになる。そして次のチャンスも逃したら・・死屍累々と増えつづける資源ゴミ・・考えただけで絶望的な気分になる。それを俺は・・ことあろうことに俺は、寝坊してしまったのだわ。オマイガッ!
 はね起きるや玄関先に飛びだすと、何もなかった。ワイフがちゃんと出しておいてくれたのだ。俺は安堵して、窓を開け、早春の空気を味わいながらカフェーでもすすることにした。ふと、煙草がないことに気づいた。これでは早春の空気の無駄遣い。ゴミが消え質量が軽くなった部屋の中で吸う煙草は格別なのだ。
 コンビニに赴こうと路上に出ると、路上にカラスが群れている。近づいてくる人間を見て、面倒くさそうな緩慢な動作で散った。歩道には生ゴミが散乱。出したゴミにちゃんとカラスよけネットをかけなかった者がいたのだろう。
 煙草を買ってもどる途中、もう一度ゴミを見た。牛乳パックは知っているスーパーの特売品。惣菜はあまり買っていないらしく、野菜の切れ端が多い。さといもや大根の皮は均一の幅を保っていて、しかも薄くシャープ。個人情報に関するものは慎重にシュレッダーにかけられているし、ただの主婦ではないようだ。数羽のカラスが未練がましく遠巻きにこちらを見ている。
 集積所のほうきを持ちだした俺は、ときどきカラスの方に振りむけて威嚇をまじえながら、散乱したゴミを寄せ集めるふりをしつつ、さらなる吟味をつづけた。特定のスーパーのレシートが多い。和食中心。さといもの皮にまじって、生姜の皮もかなりある。チューブではなく、毎回おろして使っているのだ。自身が生姜フリークなので、これだけの生姜を何に使うのか興味と親近感を覚えたが、生ゴミだけでは推理にも限界がある。缶、ビン類の「資源ゴミ」があれば判断材料も増えるし、スーパーのトレー類の宝庫である「燃えないゴミ」があれば精度はさらに高くなるはずだが、それは高望みというものだ。気を取り直し、そこにあるものを再構築してみる。見落とした物があるはずだし、何より見たつもりで見ていない物があるはずなのだ。
 ラップについたラベル類を路上に並べると、その行間からこの主婦のひとつの意思が見えてきた。値段の高い魚介類は「半額」とか「30%引」で買っていることが多い。いい食材を徹底して割引で買う。そして、ああ、これは! 俺は茶色の卵のカラをつまみあげた。燦然と輝く真紅の「光」シール! 本邦エッグファン垂涎のヨード卵「光」さま。
 じつは、わが家も分不相応ながら「光」さまカストマである。「光」さまと出会う前は、セール目玉の特売卵を買い込んでは冷蔵庫の中で大量に余らせ、けっきょく消費期限が1週間もすぎたころに、いちどきに5個も6個も使ってまずい卵焼きやスクランブルエッグになる。当然、そんなものは食いきれない。で、捨てることになるわけだが、女人というものはここで巧みな責任転嫁を行っていることに自分では気づいていないようだ。たいていこういうとき、女人は「あらら〜、こんなに残しちゃってぇ」と舌打ちしながら捨てる。まるで食べなかった者のせいで、自分はこんなふうに食べ物を粗末にすることは反対なんだけれどもと思いつつ、ときには「昔は卵は高級品だったんだから。特別な日じゃないと食べられなかったのよ」と、まるで自分が見てきたかのように戦前戦後の話をしたりする。そもそも特売卵を大量に買いこんできたあとの在庫管理の失敗に原因があることを内省することはなく、この愚行は延々と繰り返され、「昔は卵は高級品」で「特別な日しか食べられない」ということになるのである。
「かといって、今でも毎日タマゴ食うか?」
 せいぜい1週間に1度か2度。個数にしても1、2個。俺は電卓を持ちだして、パチパチと数字をはじきだした。残りの人生で俺が一生に食う卵の数は、せいぜい200パックぐらいだった。なんだかさびしい数字だった。
 俺は急にいろいろなものが気になりだして、電卓で次々と余生で食べる物たちの数を割りだしていった。どれもせつない数字ばかりだった。こんなにも人生は短かくはかないのかと思うと、突如、一食一食を噛みしめて味わわなければいかんという気になってきて、ワイフと娘を前にこう宣言した。
「つまり、すべての食材は昔の卵のように高級品でなければならない」
 ということで、特売卵ばかり買っていたわが家は、翌日から燦然と「光」のカストマとなったのである。もちろん1パック350円(しかも10個入りではなく6個入りのパックである)の卵を買うのは、ものすごく緊張した。
 が、冷蔵庫の玉子ボックスにおさまった「光」さまはじつに堂々としていて、扉の閉め忘れ防止警報ブザーが鳴るまで見とれたものだ。そして、これまで至極ゾンザイにつくられていた目玉焼きにも、ガゼン緊張感が漂いはじめたのである。
 「光」さま初日の朝、今までの慣習でひとり2個ずつの目玉焼きをつくったワイフは、いきなり痛罵を浴びる。
「おめー何考えてんだ! ヒカリさまたぁ、ひとり一個ずつに決まってッだろ馬鹿野郎」
 めったに声を荒げない男の激しい語気に、ワイフもひるんだのか、「ご、ごめん。つい。」
「待った。ひとり一個もオソレおおい。次からみんなで一個。」
「そ、そうね。」
 割るのを失敗して、ひしゃげたヨード卵の目玉焼きになったときも、激しい非難がわき起こった。「目玉焼きを失敗して怒鳴られた」とワイフは今でもネに持っているが、それからしばらくは卵を割るワイフの手が震えるようになった。卵を焼いているあいだは、卵を焼くことにすべての神経を注ぎ込むようになった。こうなると、俄然、美味い目玉焼きになる。ワイフの目玉焼きの腕はみるみる上がり、家族も目玉焼きを心待ちにするようになり、ワイフは目玉焼きを焼くたびに家族の惜しみない賛辞を一身に浴びるようなり、こうなるとワイフだって気分がいいし、みんなも抜群に美味い目玉焼きを食って大往生大団円、卵を囲む家族の顔は笑顔で満ちあふれ、卵料理のプレミアム化は円満な家族を再生させることにも成功したのである。
 この伝統は、家事をワイフから引き継いだあとに、さらなる拡大発展をとげ、1枚500円の沼津産・根付きアジの開き、1本1000円の創味ダシ醤油、700円の馬路村柚子の里ポン酢等が加わるに至った。
「ヤスさん、これ」
 路上に並べられたラベルのひとつを俺は指先でつまみあげた。
「これぁ・・」
 俺の中の剛腕刑事安二郎ことヤスさんは絶望的に目を閉じ、くびを振った。ある段階から、その事実をうすうす感じつつはあった。そこには冷酷にもナメタガレイのラベル、「半額引き」シールが上からかさね貼りされたラベルがあった。
 一昨日、愉快そうにナメタガレイの話をしたのはヤスさんだった。子持ちカレイってやつはタマゴが美味いときは、身の方はぱさついて食べられやしねえが、ナメタガレイってやつは、どちらもイケる。
「パーフェクト。」
 そう、そのときヤスさんは「パーフェクト」とナメタガレイのことを言ったのだ。俺は半額のシールをゆっくりとはがした。下から現れた日付は、ヤスさんがナメタガレイの話をしたときとぴたりと一致した。
「なあ、うちのかみさんにはこのこと黙っといてくれないか。寝すごした俺のせいだ」とヤスさんは笑った。気の抜けたビールみたいな笑い方だった。こうして俺の中のヤスさんは刑事を引退し、ただの安二郎さんになった。
 ひととおり片づけをして、ネットをかけなおしても、カラスはまだ電線の上でこちらを窺っていた。俺は右手で拳銃の形をつくり、銃口を上にむけ、バンバンと2発打った。カラスは小首をかしげ、くわと言った。