自動車教習4時間目(第2段階)市街地戦

 本日は市街地戦に突入。
 戦地に進軍する途中は法定速度(60キロ)道路で追越車線に進路変更しなければならない。高踏的なドカティでは160キロでクルマのあいだを縫って走っている場所だけに、60キロでどうやって進路変更したらいいのか想像もつかなかったが、案の定、右ウインカーをだした途端、後ろのクルマが俺を抜かしに加速してかかってきた。このむくつけ婆、いたいけな教習車がビビりながら右ウインカーだしてだんだから、加速して抜くこたあないだろうが、おかげで追越車線はずっと数珠つながりで入るタイミングを完全に逸してしまった。だいたい流れが100キロ近い追越車線に60キロ以内で車線変更するのはひどく難しいと思うのだが、さっきの唯一のチャンスを、あんにゃろう、今度見かけたら覚えときゃあ。
「あのねえ、そんな考え方だから入れてもらえないの」と教官。
「あれ、今、ぼく何か言いました?」
「この野郎、おぼえとけよって言ってましたね」
「あれ、そうですか」
 歳をとったのか、心の中で思っただけのつもりだったのに、尿漏れみたいに罵りが口から漏れてしまったみたいだ。
「このまま行ったら高速入っちゃうよ〜。どうすんの? 救急車も来てるねぇ」
 と、薄い横目で笑いながら俺に謎かけしてくる教官。この教官とは第1段階でも一度いっしょになったが、相性はかなりよくない。「三十路なんだから、もっと落ち着きなさい」と言ったあの教官である。さっきの暴言でさらに心証を悪くしてしまったようだ。
「ほらぁだめねえ」
 ブレーキとハンドルを奪われて、救急車をやりすごす。屈辱・・。
「ほらほら、このままだと高速行っちゃうよ〜」
 頭がだんだんぼぉっと白くなってきた。教官はねちねち何か言っているが、俺は肩で息をすんと出して、あごを引き、
「ガア逝きます」
「があ?」
 返事のかわりにギアを落としアクセルをガア踏み込み、ウインカー、前のクルマにベタづけから蜘蛛のように右に這いだしガガと空隙に潜り込みハザード2回・・要するにいつもみたいにやりゃあいいんだ、爽快。
 シートに深く沈みこんだ体勢から復帰しながら教官はくどくどくどくどくど言いはじめ、
「私だったら、あなたの前に出て、サイドブレーキ思いっきり引いて追突させてやりますよ。あなたが死んだところで私は何も痛くない」
「すんません」
 あとはひたすら、はい、と、すんません、をくり返した。頭が白いまま走りながら俺は汗びっしょりになっていた。これほど自分が気が短いと思わなかった。かなりショックだった。人生折り返してからは少しは大人になったと思っていたが、教官の言う通り、俺はかなり問題がある。
 市街地に入ってからは徹底的にやっつけられた。ブレーキを何度踏まれたことだろう。人がいるでしょ、減速だよ、あの人があなたの娘さんだったら同じことする? 自分のことしか考えない人だね。無人島走るんだったらあなたは上手く走れるだろうね。町はあたなにむいてないね。学生んときはスポーツ何やってた? 団体スポーツじゃないでしょ? 個人競技? ああ、やっぱり。ほらここ何キロ制限だと思ってんの。今の減速帯の意味分かってる? 速度規制が変わったんだよ。何も見てないね。横断歩道に人が待ってるよ。卒検だったら検定中止だよ今の。歩道からおばあちゃんの自転車が倒れてくるかもしれないでしょ。どうぞー、ほらどうぞー、そんなとこで譲らなくていいって、どうぞーってあなたに言ってんだよ、行きなさいって言ってんだよ、ミラー見てごらん、トラックが真後ろに来てるでしょ、ブレーキが急なの、へんなとこで譲から、譲るべきところでは譲らないくせにね。近いうちにあなたとは違反か事故で初心運転者講習で会いそうだね。あ、また、クラッチ荒いし。つながりを考えなよ。バイク、今は乗ってないの、え? 乗ってる? じゃ、ふつうそんなつなぎ方しないでしょ。全体を考えなきゃ、いつも全体を。中古車買っても損するよ。外見よくてもエンジンがボロとかね。あなたは外ヅラばっかりだ。全体を見なきゃ。あ、金持ちだから新車しか買わないか。サッカーでいうと、あなたはマエゾノだね。
 最後の方は、はぃ、と言ってうなずくのが精一杯だった。頭の中は真白を通りこしてハレーションを起こしている。所内にもどり停車までが自動的に動いていた。長かった終業のベルが鳴った。
「何もいやがらせしようと思って言ったわけじゃないから、くそーと思って、がんばってください」
「はぃ」
「ほんとは技術的には上手いと思いますよ。ただ自分のオゴリに気づいてください。ごめんなさいね、だいじょうぶ?」
 俺はハンドルから手を放すこともできずフロントガラスの先を見つめながら、はぃ、と言った。もしかしたら俺は泣いていたのかもしれない。